9月10日に行われた、
総務文教常任委員会における議案審査について、
こども課所管分の話題から。
このコロナ対応が迫られる中で、
いよいよ加速してきた様々な教育環境の変化。
昨年度は新型コロナウイルスはほぼ関係ないが、
決算認定の中で特徴的だったのは、
佐久穂町立の教育機関でのエアコンの実装、
そして小中学校のICT推進による、
各教室のホワイトボード化およびプロジェクター設置だ。
現状では、
ホワイトボード化は普通教室のすべてが終了し、
プロジェクター設置を一部残すのみとなった。
とはいっても、
このホワイトボード化にもいくつかの懸念がある。
1つは、黒板に貼るタイプのホワイトボードだったため、
金属のホワイトボードと比べると消しづらいこと。
これは、学校を動かしつつ黒板を全部取り外して、
金属製のホワイトボードに取り替えるなぞ
金額的にも時間的にもできないので、
まぁ、しかたがない。
生徒からは蛍光灯の光がが反射して、
ホワイトボードが見づらいという声も聞いた。
これも角度などによって一部がそうなるのは当然。
そして私が杞憂とも自分で思える懸念。
このホワイトボード化は、
プロジェクターによって大画面の静止画・動画を、
児童生徒に見せることができる・・・
という機能だけにとどまっているという点。
正面のホワイトボードに何かが映し出されるということは、
教育的にはとてもいいことだとは思うが、
それによって得られる効果というものが大きいか?
というと、自分の中ではそうでもない。
むしろ、教員の教材研究とよばれている授業準備が、
時間的にも技能的にも増えるという点と天秤にかけたら、
負荷のほうが多いきいのではないかと思うこともある。
とはいえ、一方で、
生活経験の乏しい最近の児童生徒にとっては、
こういった映像教材の強さは、
直感的に理解する窓口としては貴重である。
でも、それはあくまでも直感的な部分であって、
それがあるからといって学力が向上するわけではない。
少なくとも学力がペーパーテストによる、
再現性の能力を評価している現状では・・・。
ただこのホワイトボード化に、
今年の予算に関する
児童生徒全員にタブレットを配布する・・・
という状況が加わると、
その事態は一変する予感はある。
そもそもタブレットを使った授業って、
教員と生徒児童がタブレットの画面を共有するのであって、
その共有した画面が、
タブレット越しではなく、
正面のホワイトボードで共有できるということがとてもいい。
そういった未来への段階の一部なら大いに評価したい。
となると、
やはり問題になってくるのは、
それを利用して授業を構成する教員の技能ということになる。
じゃぁその技能をどうやって習得していくのか?
その根源のシステムをどのように構築していくか?
そのシステムを利用してどのように運用するか?
など、
多くのことが問われることになる。
それらを民間業者が整えるというのであれば、
それに異論はないが、
そうなるともはや教員は、
いまでもその傾向にあると思うが、
学力をつけるための仕事ではなく、
学力以外の人間性を養うという仕事をすることになる。
それならそれでいいと思う人もいるかもしれないが、
価値観が多様化し、個性を大事にするという方向に、
針が振れている現在では、
一定の価値観を個人として保有している教員が、
こどもたちにそれを押し付けるような行動は疎まれ、
しまいに教員は、
遊園地の乗り物を管理する人や、
交通整理をする人、コンサートの警備員などと、
同じ仕事ということになっていくのではないか。
考えすぎだよ!
と、言われることは百も承知で、
そうならないならならないで全然構わないわけで、
私の嫌な想像に、
現実が近寄ってこないことを祈るばかりだ。
明日、9月定例会採決閉会
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