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善意の連鎖をとぎれさすもの?

人はなぜ人にやさしくするのか?

つまり、人の善意はどのようなときに現れるのか?

そんなことを考えることが増えてきた。

 

感謝をしてもらえるから・・・

という報酬的な発想ももちろん大きいに違いない。

報酬ということでいうなら、

それは物理的な報酬ではなくても構わないことが、

広く知られているので、

そういった意味では、

感謝の意を伝えてもらえることが、

十分な報酬になりうることはうなずける。

 

一方、いわゆる応報的な側面も無視できない。

以前お世話になったから、

そのお返しに・・・

というのは、ごくごくよく見かける場合だ。

善意がギブアンドテイクによってもたらされる、

もっともシンプルな例であるといえる。

 

まぁもっとも、

一番最初の善意はどこからくるのか?

という根本的な問題がないわけではないが、

それはギブアンドテイクが、

1対1の関係でおこなわれているとは限らないところが、

実に話を複雑にし、同時に面白くもしているような気がする。

ここに善意の連鎖が生まれてくるわけだが、

それは同じ理屈で悪意の連鎖もまた同様だと思われるからたちが悪い。

 

もっとも興味があるのは、

私個人がどのような思考のパターンで善意を行うに至るか・・・

ということだろう。

これは、今思えば、

私が中学生や高校生の頃から考えていたなぁ・・・

と、改めて思い出す。

その時から基本的にかわらない。

善意の押し売りほど鬱陶しいものはない!

と思っている。

 

いや、思っていた。

だから、

助けを求められていたら全力で助ける・・・

を基本的な対応方法にしてきた。

が、

今の立場になってしまうと、

どうも善意の押し売りを私自身がしがちである。

それに最近、色々と気がつくことが増えてきた。

これは私の欲するところではないな・・・

と思いつつ・・・。

 

本当にそれでいいのか!

と思う気持ちも当然ある。

問題はそんな思考を持っている私だから、

人に善意を向けたときにその善意を否定されてしまうと、

自分に対して嫌気がさすのもあるし、

それを通り越して、

その善意そのものを自分の中で否定して、

二度とその善意を向けることはしないと誓ってしまう・・・

というなんともし難い状況に追い込まれてしまう。

助けを必要としないなら、助けない・・・

という根本へと急激に立ち戻ってしまうわけだ。

 

私と同じ思考の人がそれほど多いとは思えないが、

例えばPTAなどを引き受けるにあたり、

他の人が嫌がるなら自分が!

という思いで引き受けているに過ぎないのだが、

それを、目立ちたいからとか、

そういうのが好きなんでしょ、

みたいな悪意に満ちた表現で言われてしまうと

あれれ?

と、急に気持ちが萎えてきてしまう。

あぁそんな風に思われているならヤラないよ。

そうやって言っている人たちにいくらでも譲るよぉ。

という思いでいっぱいになる。

 

感謝の意もしめされないことに、

嫌気がして二度とやらないと決心をする人も、

じつは多くいるかも知れない。

とどのつまりは、

善意をいいように利用するような輩がいるから、

善意は連鎖することなく、

風前の灯火かのように、

かぼそく今にも消えそうな状態になっているのかもしれない、

という結論に達せざるを得ない。

 

次の世代の子どもたちに、

善意というものをどのように伝えていくべきか。

善意の連鎖を途切れないようにするためには、

子どもも周りを囲むおとなたちが、

善意をいいように利用するような言動や態度を、

少なくとも子どもに堂々とみせるような

そんなわけにはいかないとおもうのだが・・・

 

2月全員協議会まであと9日

 

 

 

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