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自己弁護は悩んでいる証拠?

6月19日、全佐久PTA連合会の理事会に出席。

初めて会長という立場で出席する理事会・・・

なわけだが。

 

これがまぁ、

私の性格?こだわり?ゆえか、

会らしい会にならないなぁ・・・

佐久穂小学校PTA理事会もその傾向があったが、

いやまぁ、全佐久PTA理事会については、

もっともっと、いわゆる会という感じではなかった。

 

もちろん

司会は全佐久の子育て委員長兼副会長がやってくれるし、

気がつけば、決定しなければならない事柄は、

すべて決定することができたし・・・。

長野県PTA連合会主催の

子育て三行詩

の審査も、夜22:00までかかったが、

終わらせることができた。

 

だけど、ざっくばらんすぎる・・・

との批判を受けたとしても、

それを真っ向から否定できない自分もいる。

きっとこういった雰囲気を嫌う人も多いだろう。

それに引き換え形式的な会議は、

退屈する人がいるとは思うが、

それでも強い拒否反応を示す人はほぼいないだろう。

だから余計悩むというか落ち込むというか、

反省しているような自己弁護しているような・・・

そんな感じになってしまう。

 

私個人としては、

会議には大きく2種類あると思っている。

これは会議の種類というよりは、

その目的によるものだ。

1つは意見を主張し交換しぶつけながら、

よりよい方向性を導き出す目的。

こどもっぽく言うと、話し合いってやつだ。

そしてもうひとつは、

決定するという目的。

これはある方向に全員を向かせるということ。

決まったんだから、従えよ・・・という、

ある意味、拘束力を持つような雰囲気を醸し出す。

だから、その目的に応じて、

よりよい会議のスタイルはあるのだろうと・・・。

まぁ、結局のところ、自己弁護しているわけだが。

 

だから・・・

自己弁護の延長上でいうと、

全佐久PTAの理事会は思うところを言える会議に

したいなぁっという気持ちが全面に出たのだと思う。

いつも出てるじゃん・・・

という批評は甘んじてお受けせなばなるまい。

だって、権威とか威厳とか、

特にそれを形式によって作り出すことにあまり興味がないんだもん。

権威とか威厳って、

出すものではなくて受け手が感じるものだと思っているから、

よけいそうなのかもしれない。

権威なり威厳なりを感じさせてみろよ!

といった思いがずっとあったからだろうと思う。

 

ましてや全佐久PTA理事会なんかは、

それぞれのPTA会員のためにあるのであって、

もしくは長野県PTA連合会のためにあるのであって、

権威や威厳などは微塵もないと・・・。

だから、ざっくばらんすぎるぐらいで、

ちょうどいいのかなぁって・・・。

 

はい。

今回の記事はひたすら自己弁護。

自己弁護するってことは、

当の本人が内心、めっちゃ悩んでいるところ。

だから自己弁護している人を見たら、

揺れて悩んでモガイているんだ!

と思ってあげよう。

こどもも同様。

ただし、自己弁護を無関心的に肯定するのだけは、

しないようにしたいものだ。

 

明日、青少年育成協議会総会およびスポーツ協会総会開催

 

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