10月28日の日曜日、
午前中に佐久のこどもまつり、
午後にうえだ多文化交流フェスタに行ってきた。
秋といえば、
食欲の秋とか読書の秋とか・・・
いろいろとあるが、
実に最近思うのはイベントの秋!
収穫祭などの古くからの祭の流れがあるのかもしれない。
それぞれのイベントは、
当然ながら、
なんらかの公の組織の後援を
受けているところが多いだろう。
それを差し引いても、
やっぱりボランティア精神が旺盛なのは、
否定できないところだ。
さて、
毎回毎回こういう企画に参加して、
必ず考えてしまうことがある。
それは、
無料の是非!
簡単に言うと、
タダはすばらしいことか?
いや、もちろん、
ボランティア精神そのものは是。
そこに異論はない。
問題は、
日本人がおそらくその精神のサイクルに、
慣れていないことなんだろうと思う。
・・・。
あぁ~・・・言葉とは難しい。
無理を覚悟で言葉でこの思いを伝えてみる。
例えば、なにかのイベントで、
無料で何かを食べることができたとする。
で、食べたものがそれほど美味しくなかったとする。
食べた側は美味しくないことにまぁ不満を言う。
まるで自分が試食をする審査員かのように、
うんちくを言うこともある。
ときには激安50円のレトルト食品を食べたときより、
辛辣な評価なこともよくある。
なぜか無料になると自分の要求の水準が上がるらしい。
一方、食べてもらう・・・つまり提供している方は、
こころのどこかに
無料なんだからこれぐらいが精一杯・・・
という自己正当化が出てくる。
いや、自己正当化は仕方がないとしても、
そこに無償で働いている、提供している、という、
自分のボランティア精神の価値も、
そこに含んで自己正当化してしまっていることが多いのでは?
そんなの仕方がないことだろう・・・
と、うすうす、私も思いはするが、
さらに気になるのは、
無料という状況が与えるこどもへ影響である。
やはり大人がいけないんだろうなぁ・・・とも思う。
ボランティア精神から派生するイベントは、
無料のものが多くある。
そこで、こども学んでほしいことは
私としては、
そのボランティア精神そのものなわけだ。
だから、無料のものをこどもが食べたときは、
親は、お金を払っている以上に、
こどもに
誠心誠意お礼を言わせなければならない・・・
と思っている。
ところが、大人の中にはこどもに向かって、
ただなんだらかもらってらっしゃい!
という人もいるのではないか?
別に食べたいと思っていなくても、
食べさせようとする大人もいるのではないだろうか?
なんだか、
思いが伝えられるとは思えない文才のなさだ。
・・・
こどもたちの多くが、
無料であることにありがたみを感じて、
自分が無料で提供する側になろう!
と学習して、
それが良い循環で広がってくれれば、
もっともっとワクワクする社会になるだろうし、
ぜひそういう精神を広げていって欲しい。
そういった観点をもった、
ボランティア精神旺盛なイベントづくりが、
自分も含めて広げていけたら・・・と思う。
まとめてみたが・・・
こりゃ、今回は駄文の極みだな・・・。
反省。
佐久穂町文化祭まであと3日
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