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人権フェスティバルin佐久穂後編!

前回に引き続き、人権フェスティバルin佐久穂の話。

・・・人権フェスティバルの話なのか、

それとも自分の、世界の理解の仕方の一部を再認識しているのか・・・。

自分でもよくわからなくなっているが、とりあえず書いてみる。

書けば、自分の理解や認識を他人のこととして受け入れることができる。

 

前回は病気の人の例の話だった。

今度はこどもの対応について・・・。

よく子どもには愛情を注ぐべきだ・・・と言われる。

それはごもっとも。

だけど、どんな愛情を注ぐか、もしくはどうやって注ぐか?

子どもだけに限らないが、

やはり人は承認してほしいという欲求があると思う。

そしてその承認というのが、子どもに愛情を注ぐということであるとも思う。

ただ、それは各段階がある。

 

まずは、

自分が存在しているということを認めてもらいたいという段階。

この段階ならば、話を聞いてもらえるという喜びや、

同情してもらえるという喜びを感じやすい。

もしかしたら、旦那様に話を聞いてもらえない奥様・・・

ちょっと古いステレオタイプのようなきがするが・・・

も同様のことを望んでいるのかもしれない。

だから、しっかりと話しを聞いたり、うなずいたりする。

そういうことで、愛情を感じる・・・

というか、それで愛情を感じるということは、

かなり差し迫った、つらい状況にあるとといえるだろう。

 

次の段階は、

自分がそこに存在していてもいいという安心感を得たいという段階。

この段階になると、

話を聞いてもらったり、同情してもらえるだけでは、愛情を感じにくい。

その人の行動に対して、その行動が是であるという承認をする必要がある。

ようするに「あなたは正しい」と言ってほしいという状態。

これは、教育でいうところの「ほめる」に相当するかもしれない。

ただ、注意が必要なことは、

是非をはっきりさせた上でないと「正しい」と言ってあげられないということ。

そうでなければ、

ただただ、「ほめる」行動を繰り返しただけでは、

1つ前の段階の対応と、何ら変わらなくなってしまう。

 

で、そのあとは

自分の存在が必要とされていると実感したい段階。

これは「ほめる」行為ではどうにもならない。

感謝し、お願いをし、その存在のおかげであることを具体的に伝えなければならない。

だから、心が満たされるし、

それによって自分が存在していると自覚でき、

そしてまたその自覚を強化すべく自己を律していくことになる。

そしてその段階の人は、

人の話も聞いてあげられるし、

是非を明確にして、ほめてあげることもできる人であるともいえる。

だって、必要とされているわけだから。

 

問題は、愛情を注ぐと軽く言うが、

どの段階の子どもに対し、どういった愛情の注ぎ方をするかということ。

しかも、どの段階といっても、

年齢によってその段階が決められているわけでもなく、

状況によってもそれは異なってくる。

そこが困難!

 

前回は病人の話。

今回は子どもの認め方と愛情の注ぎ方の話。

いずれにせよ、

今ある状況や問題を考えた時に、

その今ある状況や問題に対応することと理想的になることを、

使い分ける必要があるということ。

つまり、対応する側が可変でなければならないということ。

そして、それが人権問題を取り扱う上で、

わたしの中ではとても大事にしていること。

だから、2回に渡って書いてみた。

 

話はぐっと戻って、人権フェスティバル後半。

後半はフリーキャスターの堀尾正明さんの講演。

テーマは『はぐくもう!思いやりの心は「ご近所の底力」』

この「ご近所の底力」とは、

2003年から2010念までNHKで放送されていた「難問解決!ご近所の底力」から・・・

たぶん・・・。

堀尾正明さんは2007年にフリーになるまで、

この番組の司会者を務めていた。

 

正直、全くしらなかったが、いやまぁあ、恐れ入った。

色々な話があったが、

特に後半の空き巣をなくすための住民の取り組みというのは、興味深かった。

色々な手法で空き巣をなくすための住民自身の取り組み!

ア・アイデア、発想があって

イ・インタレスト、興味があって

ウ・ウォーク、自分の足で歩いて・・・というか自分で直接行動して、

エ・エキサイト、情熱的に

オ・オリジナリティ、独自性をもって

それらに取り組む。

番組もそうだが、そういう住民活動に素直に敬意を表する。

 

佐久穂町にも健康のための住民活動があったりするが、

自分もこの町で何かをしたいと強く思っている。

ただ、やりかけてときどき心が折れそうになる。

この町に私なんていう存在は必要ないのでは?

やっていることに意味はあるのか?

無駄な・・・無駄ならばまだいいけど、

有害な存在になってはいないか?

などと常々思ってしまう自分がいる。

だから、また心が揺れる・・・。

私はMr.ネガティブと呼ばれたこともある男だ!

 

と、前の承認の段階についての話を自らぶり返す。

私はまだ最初の段階、

つまり存在を知られていない存在・・・あぁややこしい・・・なんだ!

まずはやってみること!

存在を知ってもらうこと!

やっていることを知ってもらうこと!

今、町に貢献している人や団体は長く長くやってきたんだから。

あせっちゃいけない。

それこそ、最初の動機を忘れちゃいけない。

見返りが欲しいわけではない。

佐久穂町の子どもに教育の機会を多様な環境を与えたい。

そこが原点。

原点を見失って、自分の心の揺れなんか体感している場合じゃない。

って、

思いを新たにさせてくれる人権フェスティバルだった。

 

南佐久環境衛生組合定例会まであと9日

 

 

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