2月7日日曜日に茂来館で、
人権フェスティバルin佐久穂が開催された。
佐久穂町議会議員としての参加ということにはなるが、
それでも人権にはとても興味関心があるし、
興味があるどころか、
人権教育は、教育の根幹をなす1つだとも思っている。
もっというと、教育による人のコントロールの害から身を守るためには、
教育内の人権教育による自己防御機能が必要だすら考えている。
さて、人権フェスティバルだが、
開会のあと、八千穂コーラスの合唱があり、
さわやか佐久穂町ネットワークの寸劇があった。
寸劇に関しては男女共同参画推進グループということもあってか、
身近な男女共同参画について・・・
男性が女性の家事を手伝う、分担するといった内容だった。
いや、とってもシンプルでわかりやすい!
話が急に飛んでしまうと思われるかもしれない。
病院に具合の悪い人がくる。
彼は病気を治すためにそこにきている。
決して、100mを11秒で走れるようになるために病院にきているわけではない。
百歩譲っても、決して健康な体を維持するという目的のために、
病院にきているわけではなく、健康な体になるという目的のためにきているのだ。
ところが、それを診る医者が、
100m11秒の観点から、もしくは健康の維持管理の観点から、
そういった観点からしか診察をせず、
ましてやその話だけを患者に話していたとしたら、
やっぱり患者は首を傾げて、
徐々に不信感がつのってくるにちがいない。
何の話かってことなんだけど・・・。
話をもどして男女共同参画。
そもそも大人だろうとこどもだろうと、男だろうと女だろうと、
家族という1つの共同体をつくっているのならば、
その共同体を維持するための活動は、
自分のためにやるのであって、
「協力する」とか「手伝う」という感覚はおかしいんじゃないか?
と、日頃思っている私がいる。
どちらかというと、うちの家庭はそういった感じになっていると思うし、
そうなって欲しいという思いから日々の動きや対応がなされている。
もっというと、
気づいた人がやればいいし、
気づける人にならなきゃいけないと思っている。
まだ、たどりついていない。
「ちょっと手伝ってよ!」というのは、
私個人からみると、その発言をしている人自身も、
自分が家事をするのが当然だけどさ!
という思いがあるのでなないかと思ってしまう。
こどもに「お手伝いぐらいしなさい!」というのも、
実はこどもに、
「家事は本質的に私の仕事ではない」というような認識を
植え付けているのでは?などと考えてしまう。
でも、これはきっと100mを何秒で走れるか?という話に
もしかしたら、近いのかもしれない。
私としては、そこを基準にして考えていくべきだとは思っているが、
かといって、病気の人にそれを言っても、
怒りを想起させることはあっても、その人の望む解決には一歩も近づけない。
だから「ちょっと手伝ってよ!」とか「お手伝いしなさい!」は
それはそれで、ありなんだと思う。
ただ、やっぱり気をつけたいのは、
その先にある、
今より少し上の基準を常に意識し続けること何だと思う。
そんな風に思いながら寸劇を見ていたら、
なんだか最近、自分がやっていることに虚しさを感じていたので、
その感じている事自体が、
あぁばかばかしいことだ!と思えるようになってきた。
この話については明日のブログにも出てくることなので、この辺で・・・。
さて、人権フェスティバルのつづき。
そのあと、佐久穂小中学校生の人権作文発表があった。
6年生の「認知症の方のために私ができること」と
7年生の「良い未来を作る第一歩」。
差別という状況の実体験から、それに対する考え方が出ていて、
とっても良かったと思う。
個人的には・・・あくまでも個人的には、
もっとボリュームがあってもよかったかも・・・って思ったけど。
子どもがどんなことを考えながら社会を見ているか?
ということを、大人たちは知る機会をもたなければならない。
ということで、後半につづく!
南佐久環境衛生組合定例会まであと10日
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