魔法ってあると思う?
こんなことを子どものころにも考えていたし、
大人になっても、
教員やっているときなんかそれなりに話題になる。
もちろん中学生と接しているからに他ならないわけだが、
なかなかおもしろい命題であるとは思う。
さて、魔法。
実は、私が生徒とそんな話題になると
2つの魔法について語る。
1つは名前という魔法。
これはなかなか興味深い・・・と勝手に思っている。
例えば、ある小型電子機器にスマートフォンという名前がつけられる。
これでこの電子機器はスマートフォンになる。
そして電子機器の能力や機能そのものについて語られることは極めて少なくなり、
その電子機器がスマートフォンとして十分な能力や機能を持っているかが問題となる。
仮にパーソナルコンピューターという名前でタブレットが売られていたら、
キーボードはどこについてるの?
という話になる。
通話が全くできないスマートフォンがあったりすると、
それはスマートフォンか?という話になる。
既に名前による魔法にかかった人たちがそこには存在する。
例えば天然の耳かき!
と言って売られている適度な木の棒があるとしよう。
ほぼ全員が、その名前という魔法によって、
間違いなくその棒を耳へと入れる・・・。
それでも魔法は解けず「これ使いにくいじゃん!」というに違いない。
これはいつごろから始まった魔法なのだろうか。
ちなみに魔法にはかける側とかけられる側がいるはずだろうが、
名前という魔法に関しては、不可分であることが多いから困ったものだ。
故意に名前という魔法の力を行使して
人に魔法をかけるのもどうかと思うが、
魔法をかけた人が
自分自身でかかっている場合はたちが悪い。
ましてや、他のものに対し
気がつかないうちに魔法をかけている人もいる。
こうなると、たちが悪いどころか、
無自覚な悪意というやつで最悪だ。
もう1つの魔法は前回の内容に近いが、
お金という魔法だ。
お金の力がすごいとかそういうことではない。
お金という価値の無いものに価値を見出していること、
さらにその価値を多くの人が自然に共有していること、
それがすでに
集団魔法へいざなわれている状態であるといえる。
以前、生徒に質問をした。
日本がなくなるとして、君たちは今あるお金をどうするか?
この答えはおもしろかった。
さすが中学生!
経済は中学3年生の学習内容だが、
はは~ん・・・やはり中学3年生ぐらいじゃないと無理なのだ。
全部、現金にかえる!から始まり、
やれツボにいれて床下に埋めるとか・・・時代劇の見過ぎだよ・・・
やれ金庫にいれておくとか・・・ルパン3世の見すぎ・・・か?
ちょっと社会科が得意な子どもなんかだと、
金を買うとか、株を買うとか、土地を買うとか・・・。
ようするに日本が滅びるという設定であっても、
お金という魔法は容易に解けはしないのだ。
日本が滅びればその刹那?かな?
日本銀行券そのものから
お金という魔法効果が抜けててしまうことにすら気づかない。
私はさらに言う。
私なら全部1円玉に交換してもらうかなぁ。
できるだけ1円玉に!
すると生徒たちはざわつく・・・ざわざわ・・・
それでも魔法は解けない。
・・・今、アルミニウム1gはだいたいいくらだろうか・・・。
1円玉は1円の価値を生み出すために、
1円以上の価値を使っている・・・ということにお気づきだろうか?
硬貨だけに限らず、偽札が作りづらい最高級日本紙幣は、
その印刷やらに結構なお金をかけている。
ちなみにそんな高等技術であったとしても、
1円玉は価値が下がってしまうわけだが、
1万円札ともなれば、
1万円以下の価値でなぜだか1万円の価値を生み出してしまう。
そこには信用という言葉すら存在がかすんでしまうほど、
ごくごく当たり前のこととして受け止められている現実がある。
これが稀代の大魔法じゃないくてなんだと言えようか!
世の中には不思議な事がいっぱいあるが、
今回は魔法という名前をかりた、
言葉のもつ力とお金の持つ力のお話。

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