今の御時世、色々な教育が施されている。
その色々さが傷になることもあるかもしれないが、
佐久穂小学校では毎年3年生が、
給食の食材を確保しにくる。
なにを?
どこに?
その日の給食に使用するブルーベリーを
私の妻の実家である由井ブルーベリー園に・・・である。
ちなみに去年は、私の長男と妻の兄の長男、つまり甥が、
自分のおじいちゃんのブルーベリー園に、ブルーベリーを摘みにきた。
直前に、学校の先生方とお会いして、こんな会話をした。
「明日、雨になったら中止ですか?」
「小雨ならやります」
「ブルーベリーの木が雨で濡れると結構濡れますよ?」
「いえ、その日の給食が一品減ってしまうので決死の覚悟です!」
冗談とはいえ、
摘みにくるという意味が重くて、
私はとっても好意的。
やっぱりね、待ってたら出てくるってぇのは、
人の心から感謝の気持ちを奪ってしまうね。
いつぞやも言ったけど、
無料っていうのは人をダメにする力を持っている。
一回無料を味わうと、
有料であることに怒りを覚えるばかりか、
無料であるにも関わらず、やたらと質にこだわって、
客としての権利を主張するようになる・・・。
無料の段階で、もはや客ではないのだがな・・・。
実は価格が安いということも、そういった傾向が見られてしまう。
適正であることは、
実は思ったよりも人間の経済活動において価値が高いことなのではないかと、
最近、ひしひしと感じる。
そういった意味では、
給食の食材を労働の対価として獲得することは良いことだと思う。
仮に、少し熟しきれてないものが混ざっていたとしても、
それは取ってきた小学3年生の・・・ってことになる。
ところが、ただただ給食に出てくるだけだと、
そういったものが出てきたら、ハズレ扱いをしたうえで、
給食を作ってくれた方々への不満と侮辱へと発展していくことは、
想像に難くない。
さぁ、今日の給食はいかがだろうか。
これから、その手伝いに行くわけだが、
小学3年生は自分たちの力で、給食の一端を支えることができるかな?
物質的にも精神的にも、それを期待する。
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