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ハンドサインと大人の責任!

声を挙げられる人はいい。

普通はなかなかそうはいかない。

 

長野県内の児童相談所への虐待相談数が、

2020年度の集計で2825件と、

過去最高になったそうだ。

というか、年々増えているようなので、

毎年毎年、最高値を更新しているということだ。

 

数値資料の見方はちょっとした注意が必要だ。

数値が増加しているという事実は1つであっても、

そこに見え隠れする真実は決して1つではない。

児童虐待が増えている・・・

という社会の負の側面を捉えることもできれば、

児童虐待の認知が高まって来ている・・・

と、社会全体の児童虐待に関しての理解度が高まったために、

相談数が増加していると考えることもできる。

学校現場についてのいじめの調査や不登校の調査も、

同じような側面を持っている。

 

重要なのは、

今の社会がどうなのか?

ということではなく、

これを踏まえてどのように私たちが活動するのか?

ということなのだろうと思うわけだ。

 

話は急に飛ぶ。

今はどうだかよくわからないが、

私が小学生のころ、

ハンドサインというのが学校で活用されていた。

賛成がパー、質問がチョキ、反対がグー・・・

あと、なんだっけ?

 

ハンドサインというのは、

集団授業の中で、

個人的な意見と静寂さを両立させる手段だったのかなぁ・・・

という大人の事情を感じると同時に、

学校という少し社会と離れている環境だからこそ、

そういった特殊な手法などを、

子どもたちは獲得できるのかもしれない・・・

と、感じずにはいられない。

 

そして、話は戻ってくる。

ヘルプサインのハンドサイン

というものがあるのをご存知だろうか?

パーから親指を折り曲げ、

そのあとその親指を握り込むようにする。

それが声を発せず助けを求めることができるサイン。

 

カナダ女性財団が提唱している

シグナル・フォー・ヘルプの活動が広まったもののようだ。

このコロナ禍で、在宅時間が長くなりつつあり、

そのために家庭内暴力や虐待などの被害が増加。

リモートワークの機会も増え、

そんな中で、救済を求める方法を、

音声以外の方法で普及しようというものだ。

 

どの程度の認知度があって、

どの程度の普及率なのかは定かではないが、

最近、SNSではそれなりの広がりを見せているらしい。

とはいえ、

こういったものは、

あまりに当たり前になりすぎてしまうと、

加害側にもバレてしまうため、

被害側の使用がためらわれてしまう側面もあるだろう。

となると、

まさにハンドサインという手法は、先に述べたように、

学校という世界を持っている子どもたちにとっては、

言葉で表現するよりも案外使用しやすいのではないか。

そういった意味でも、とても素晴らしい試みであると考える。

 

視覚障害者は白い杖を持っていることが多い。

この白杖を自分の前で掲げて持っているのはヘルプサイン。

このことについて、

大人よりも子どものほうが認知度が高い気がする。

なぜならば、

大人はすでにその学ぶ機会を与えられることもなく、

しかも自ら学ぶことをしていく状況にもないからだ。

ところが学校というところは、

こういったことを機会があるごとに伝えている。

SDGsもそう。

大人よりも子どものほうが認知度が高いだろう。

 

そういった意味では、

ハンドサインによって救済を求める方法は、

被害側がつかいやすく、

加害側にバレにくいという点において、

なかなかどうして、いい方法ではないか。

 

でも、助けを求めてくるのはいつも社会的弱者。

子どもはその代表的存在だ。

ならば、

その助けを求めるサインを受けることができるか?

という大人側の責任は重い。

 

我々大人がその責任を果たすために、

それこそ学ぶことを止めてはいけないということを、

少なくとも私は肝に銘じたいと思う。

 

明日、広報編集調査特別委員会開催

 

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