もう11月1日。
はやい、あまりにも早すぎる・・・。
今年は特に1年が経つのが早いと感じる。
台風19号災害や新型コロナウイルス対応があったためか?
いや、きっと年々1年が経つのが早くなってきているに違いない。
今日は2回目の大阪都構想の住民投票が行われた。
1回目の大阪都構想の住民投票は2015年だったことを考えると、
あれからもう5年も経ったのか?と、
今年1年じゃなくても思うところを見ると、
やはり時間が経つのが早く感じられるようになってきているんだ!
ちなみにこれにはジャネーの法則という名前がついている。
ジャネーの法則はさておき・・・
大阪都構想は2回連続で住民投票によって反対されたわけだが、
私はこの大阪都構想の住民投票をはじめとする、
大阪府・大阪市そして大阪維新の会の10年を思うとき、
大阪という1点だけの理由でだと思うが、
大塩平八郎の乱をついつい想起してしまう。
2015年のときも同じように思って、
調べてみたことついこの間のように思い出す。
大塩平八郎の乱とは、
中学校の歴史の教科書で学ぶ通り、
江戸時代末期の1837年に江戸幕府の役人が、
その門人や農民を引き連れて大阪の町を焼いた反乱だ。
当時、飢饉がひどく食べるものもない状況で、
大阪東町奉行所が江戸へ米をおくるなどをしたことが、
乱を起こす決定打になったといわれている。
大塩平八郎は乱を起こすにあたって、
近隣の村々に檄文を回している。
長い長い檄文の最後の方にこうある。
若疑敷相覚候得者、我等所業、終る所を爾等篤と限を開きて見よ
もし疑う者あれば、我らのすることの一部始終をその眼で見届けよ!
という訳にでもなるだろうか・・・。
彼は洗心洞という私塾を開く陽明学者でもあった。
陽明学という哲学については詳細はふれないが、
思ったことはそのまま現実であって、すぐに行動すべし・・・
といった考え方だと思ってもらいたい。
歴史上にいわゆる陽明学者と思われる人物は、
長野県出身の佐久間象山や
幕末維新の英雄といえる西郷隆盛や高杉晋作、
吉田松陰なんかもそうだという。
だから、大塩平八郎が乱におよんだのも、
正しいと思うことを実行に移す
という陽明学者の性ともいえよう。
ちなみに、大塩平八郎は乱を起こすとほぼ同じタイミングで、
江戸幕府の幕閣に建白書を提出している。
これは、
当時の江戸幕府の老中をはじめとする武士たちが、
商人と結託して不正を働いていたということを、
調査結果も載せて具体的に告発するものだった。
この建白書は、飛脚が建白書を捨てるなどのドタバタがあって、
幕閣のもとには届かず・・・届いていたかもしれないが、
結局、箱根の関所だったか韮山代官のもとだったかに留め置かれたらしい。
おそらく、
民を救う・不正を正すという思いのもと、
それが建白書や乱という行動へと結びついき、
建白書をみた幕閣の誰かが、
そして乱を目の当たりにした農民が役人たちが、
今の状況を変えねばならない!
と気がついてくれるに違いない。
そしてその気付きはきっと、
ゆっくり成熟しながら、変革をすすめていってくれるだろう。
すべての人が行動を起こせるわけではない。
だから、行動をおこせる人が、
人の何たるかを見せつけなければならない・・・
それがきっと、大きなうねりとなって・・・。
とても危険な思想ではある。
まさに劇薬ともいえる。
だから一概に大塩平八郎に賛同はしかねる。
ただ、私がこうやって彼についての文章を書いている時点で、
彼の、
その目で見届けよ!
に、ついつい陥っている自分がいることに気がつく。
しかしながら、それ自体、私は不快に思うことはなく、
むしろ清々しさすら感じてしまうのだ。
そしてなぜ、
大阪都構想の住民投票を見たとき、
つい大塩平八郎の乱を思い出してしまうのか・・・
自分でも不思議に思うばかりである。
12月定例会開会まであと1ヶ月ほど

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