一昨年度、長男の卒業式は、
それこそコロナウイルス対策のための長期休業ののちに、
試行錯誤したうえで最大級の警戒をしながら、
校長室にて卒業証書を授与する形をとった。
今年度の次男の小学校の卒業式は、
式場である体育館には、
卒業生と保護者。
そして在校生は各クラスでZoomを利用しての、
卒業式への参加という、
気が付けば2回目にもかかわらず、
あっという間に当たり前の形式となってしまった、
そんな卒業式だった。
今思えば、長男の時に佐久穂小学校PTA会長だったので、
卒業式の祝辞を話すはずだったが、
中止となった。
さらに、配布物に関してもPTA会長あいさつはなくなり、
代わりにPTA学年部長のあいさつが掲載された。
まぁ、佐久穂小学校の場合、
PTA学年部の部長が卒業生保護者代表として、
卒業式であいさつをすることになっていたので、
当然といえば当然か・・・。
今、思い返してみると、佐久穂小学校PTA会長の時は、
子どもたちのために何もしてやれなかったなぁという、
そんな後悔がいまさらながらにこみ上げてくる。
今年度卒業した次男についても、
この子のために何かしてやったことがあったろうか?
なんて改めて考えてみると、
親としては何も思い浮かばない。
もちろん、次男としてみれば、
一律のうっとおしさと、
のちの人生で思い浮かぶほんのちょっとの感謝は、
あるに違いない。
が、親というのはいつまでも満足できないのだ。
自分が子どものために何をしたか?
してやることが不足していないか?
まだまだ、力になれるのではないか?
・・・
しかし改めてそんなことを冷静に考えてみると、
そんなものはないのだ。
親としてそして1人の人間として、
自分の能力をこえる課題が与えられたとして、
それを解決してやれる力など私にはない。
それどころか邪魔になることすらあるのが現実だったりする。
できることはただただ、寄り添うことのみ・・・
忖度なく自分の思いを伝えることのみ・・・
な気がして、
納得したようなさみしいような気持になる。
次男よ卒業おめでとう。
でも、今君の周りにいる人の大半は、
小学校の卒業を経験した人ばかりだ。
その仲間入りをしたに過ぎない。
君が君の世界を作り始める本番はこれから。
世界をつくるのだ。
それは途方もなく大変なことだ。
神という存在がいるならその神の所作にも等しい。
だから、失敗することもある。
というか、失敗とは満足度が低いという感想だ。
だから失敗を感じる人は自分の満足度が高いともいえる。
でもそれは、自分の満足度を客観的に理解する作業でしかない。
神ですら世界を作ることには難しい。
今の世界を見ていればそれは誰もが納得することだ。
それと同じことを君はしている。
時に、心が折れそうになることもある。
自分の作った世界に幻滅することもある。
だが、安心したまえ。
君が作ってきた世界はここにもある。
そう、私のもとにも君の作った世界がある。
そんな時は、その世界にいったん戻って、
再び新しい世界を作り出すがいい。
そのために親というものがいるのだから。
と、伝えたくても恥ずかしくて言えないから、
書く!
本日、議会報告会実行委員会会議

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