今回も情報リテラシーの続きというか・・・関連の話題で。
おそらくあまり聞き慣れない言葉、
フィルターバブルとエコーチェンバーのお話。
まずはフィルターバブル filter bubble について。
簡単なイメージではフィルターで包まれた泡といったところ。
もしかしたらZ世代は日常化していて気が付かないかもしれないが、
我々はある時期から、
インターネットに違和感を覚えるようになった。
それは、インターネットを通して見るニュース、
ホームページの横についてくる宣伝、
買い物のサイトを見たときのおすすめなど・・・
自分の志向にあった表示がごくごく自然にされるようになったこと。
ある意味、自分を観察されているようでゾットする経験を、
少ならからずしたものだ。
最近は、なんだか慣れてきてしまって、
むしろ便利だなぁなんて実感するほうが多くなってしまっていて・・・。
実は、インターネットに関わる企業、
通称ガーファ GAFA・・・
グーグル・アマゾン・フェイスブック・アップルあたりは、
各個人の検索情報や閲覧情報などを蓄積していて、
その個人に1番あった情報を提供しやすくしている。
もちろんそれは、我々に対し無償の愛で親切をしているわけではなく、
そこに利益が見込めるからそうしているにすぎない。
相反するAとBという主張があったとしよう。
本来であればAを主張する人は、
Bの意見や反論を聞く機会を避けては通れない。
いわゆるディベートの世界観だ。
ところが、この親切風にできている検索などの機能は、
Aを主張する人の志向に合うように検索結果やニュースを並べる。
その方が読んでもらえるし、商品を買ってもらえるからだ。
ところが、Aを主張する人にとってみれば、
出てくる情報が次から次へと、
自分の主張に都合が良いものばかりが並べられることになる。
しかもそれが気持ちよくてたまらない。
その結果、その人の中のAの主張をどんどん拡大され、
Bの主張およびその主張をする人に対する嫌悪感が増幅する。
これが、
濾過された情報によって包まれた閉鎖的な泡の世界・・・
フィルターバブルだ。
これ、大人でさえかなり危険な状態を生む。
偏った情報を偏った情報だと思わないと、
そこに生じるのは、超真面目だと自分で信じている正義感だ。
歴史的に最も有名で、最も残虐であったのが、
ヒトラー率いるドイツのユダヤ人虐殺だと言えるだろう。
あれを是とする人は、そうはいない。
いないが、でも日常の中で自分の身の回りにある同様の状態を、
非であると、強く主張できる人もやはりそうはいないものだ。
小さいところでいうと、
Yesマンしか周りにいない社長が運営する会社なんかも、
そういう傾向にあるだろう。
自分のアイデアを是と認めてもらうことに悦に入っているが、
それが非であると言えないことに由来しているなど、
ちっとも本人は気がついていない・・・
なんて話もよく聞く。
ましてや、価値観が多様化し始めている中で、
その多様さに戸惑いを覚えつつ、
しかも知的な充実をこれから迎えようとする小中学生が、
このフィルターバブルの中にいたら、
その被害は、自分に対しても他者に対しても尋常ではない。
しかも、自分は正しいと思っているから、その始末の悪さは極上である。
だからその危険性に、
少なくとも頭だけでも理解しておく必要がある。
子どもは言うに及ばず、いやむしろ
周りを構成する要員である大人の理解が重要である。
大人が自分の好む主張や意見に対して、
懐疑的な態度を取れることも子どもに見せなければならない。
逆に、自分の嫌う主張や意見に対しても、
理解を示す態度を見せなければならない。
そうでなければ、子どもたちはどうやって、
自分の主張や意見と他人の主張や意見の中を
臨機応変にすり合わせて現実をつくっていく・・・
そういうことを学ぶというのだ。
そしてもうひとつ同じような言葉で、
エコーチェンバーという言葉も紹介しておこう。
英語の意味としても、
なんぞやそれは?と思う人のほうが圧倒的に多いのではないか。
日本語で言うと反響室。
エコー echo はご存知、カラオケなどで声が残って響く現象。
チェンバー chamberは、○○室とか〇〇の間とか会議場といった意味。
だから声が響く部屋で反響室。
もちろん本物の反響室を指しているわけではない。
これも、フィルターバブルと同じように、
自分が主張している考え方について、
検索・発信したとすると、それに賛同するような同じ主張が、
まるで自分の声が反響するかのように返ってくるという、
インターネットの世界のあり様を指す言葉だ。
このような状況は、
特定の主義主張や趣味趣向以外について、
排他的で拒否的な感情を加速させる。
そしてその結果、どうしても
他罰傾向が強くなっていく。
アイツラがワルイ。
コレがヨクナイ。
ジブンはリカイされない。
リカイしあえるナカマとだけイタイ。
ホカはハイジョしたい。
セカイはマチガッテイル。
でも、その感情を強化していくことって、
誰のために得になるんだろう?
少なくとも得をしているのは、
そういった精神状況に陥ってしまった本人ではないことは理解できるはずだ。
世界平和とか人類のためとか、身の丈に合わないことをいうつもりはない。
自分と自分の家族、子ども・・・
関わりを持っている子ども、友人、知り合い、仲間が、
そういった気持ちに追い込まれないように、
情報リテラシーというきっかけから、
柔らかいものの考え方ができるきっかけを提示できたらなぁ
と思うに過ぎない。
新しい知らない言葉が次々と生まれてくる。
その新しい言葉に対して恐怖を感じることなく、
まずは自分で受け止めてみる。
そうすることで、
自分が自分で作り出しているフィルターバブルを少しずつ壊すことができ、
自分のエコーに惑わされない判断力を身につける、
そんないい機会にできればいいと、
まずは自分自身に言い聞かせている。
佐久水道企業団議会運営委員会開催まであと3日
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