12月2日10:00より佐久市役所にて、
第2回佐久地域の高校の将来像を考える地域の協議会に
参加してきた。
今回は高校再編に向けて、
まず、
小諸市で行ってきた協議の経過についての話きいた。
小諸高校と小諸商業高校は、
各々の同窓会と高校の元PTAや
校長などを構成員とした協議会をひらいてきた。
現状では、小諸高校と小諸商業は、
1つの新しい高校として再出発する方向となっている。
新しい高校がどんな姿であるか・・・
ということについては、
それぞれの考え方があって、
どれが良くてどれが悪いといったものではないと、
私は実は思っている。
変化し続けようとすること、
そのものに意味があるとも思っているからだ。
だからあり方はそこに関わりのある人々が、
納得する形で収まってくれればいい。
問題なのはそういった協議をする場だ。
実際、
ボランティア的な思いがあっても、
それを具現化するために、
自分の人生の大きな部分を割いても構わない・・・
と思いきれる人はそうそういるものではない。
たとえその高校のOB・OGであったとしても、
そこに全身全霊で注力することなど不可能だ。
だから、だれも先陣をきらない。
至極あたりまえのことだ。
そういった意味ではたまたま小諸の場合は、
同窓会がその基軸になって
転がりはじめることができたということなのかもしれない。
それがわかっているからこそ、
私は主張するのだ。
・・・いや、実際に協議会で主張してきた。
人の善意が入ることのできる入れ物が必要なのだ。
南佐久でいうと小海高校、
他にも軽井沢高校もそうだ。
定員割れしている中山間地の高校にとって、
今必要なのは、
高校の外側から支えてくれる、
もっというと地域がどんな高校を望んでいるのかを、
外から内に伝えてくれる外部の器なのだ。
器がそこにあれば、
いろいろな善意が気軽に集まってきてくれる。
ちょっとだけだったら力を貸してくれる人や団体は、
必ずあるに違いない。
全部を背負うのは不可能だとしても、
手を差し伸べることを人はやめるとは思えない。
ところが現実的に、
その器づくりが最大の問題だったりする。
とかくそういったものは、
行政に期待してしまう。
だが、高校再編に関してはそれは難しい。
話が教育でることや県立であるといこと。
やはり地域発の団体が最初の器をつくってくれると、
ありがたいのだが・・・。
川上村の村長は、
小海高校を南佐久郡町村の組合立にするという、
そういった大胆な構想すら必要ではないか?
といったことを言っていた。
いっそそうなってしまえば、
行政が高校改革に積極的にとりくむことが、
できるかもしれない。
でも、その前にやれることはまだまだあるはず。
今回の協議会を機に、
各高校にそういった組織ができることを期待している。
まさに善意の器だ。
そして私はそれを、
義務教育学校でもっているような、
信州型コミュニティースクールという形、
佐久穂小中学校でいうところの
学校応援団を作るべきだと今は考えている。
実際に運用されているから
モデルプランとしてもきっとわかりやすいし、
それによって
それぞれの高校を支える、
そしてどういう方向性を取ればいいかを協議する、
そのための器の原型ができるのではないか?
と思っている。
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