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日本の教育は市場原理にのみこまれるか?

10月4日に浅間中学校にて行われた、

佐久教育研究集会。

全佐久PTA会長という立場で来賓として出席してきた。

 

開会行事からの記念講演会は、

教育研究者である鈴木大裕氏による

先生が先生になれない世の中で私たちは何に光を見出すのか?

という演題での講演だった。

 

鈴木大裕氏はアメリカで高校・大学時代をおくり、

千葉にて教員として働き、再び渡米。

そこからいろいろあって、

現在では高知県の土佐町の町議会議員になっている。

そこの教育による町おこしの一端をになっている。

だから余計に興味を持った。

 

内容は氏の著書「崩壊するアメリカの公教育」に

書いてあることでもあるが、

要約すると、

アメリカの教育が市場原理によって崩壊しているとのこと。

教育に成果主義・・・

つまり学力による学校評価・教員評価を持ち込んだ結果、

民間がそこに参入してきて、

市場原理が教育を動かすことになる。

 

学校や教員がランキングされ、

経済的に困窮している地域の学校・・・

簡単に言うと黒人が通う学校は、

学校のランキングが落ちて予算が得られず、

ランキング上位の教員はそこに派遣されず、

だから子どもたちの教育的な経験を犠牲にしてまで学力向上をめざす。

でも、全人的な教育を行える白人で富裕層が多い学校、

予算が多く優秀な教員がいる学校には勝てるわけもない。

市場原理の勝者が敗者を食い尽くすという構図が完成し、

それが教育の分野でさえも食い尽くす。

 

最終的にアメリカの一部では、

教員によるストライキが実行されたり、

子どもたちに学力テストを受けさせないようにしたりすることで、

その流れを止めようとする動きが出てくる。

日本はその道にすすんでいませんか?

と、ざっくり・・・。

 

ざっくりすぎるか・・・。

いずれにせよ、

実に興味深い話だった。

私は、多様性の共存こそが民主主義のありようだと思ってる。

だから教育もその多様性が存在できる・・・

つまり多様な選択が可能な

教育体制・教育行政が必要なのだと考えている。

 

今回の話では、経済格差が教育格差へと結びつく例であるが、

それはアメリカという国の文化の上にある。

日本の場合は、そういった意味では、

最近ではその面でもアメリカナイズされている気がするが、

それでも日本の文化の上に教育がのっかっている。

できる限り均等な教育を!

というのが、

みんなとおなじであることが良しとされる日本においては、

ずっと教育の目標であったと思う。

 

だから以前も言ったとおり、

日本の教育格差は選択肢の格差であると思っている。

まぁ、結果的には経済の格差が、

多様な選択肢を、

田舎や地方には与えてくれないわけだが・・・。

 

なんだかとりとめない話にずれてしまった。

私はもっともっと私立学校があっていいと思っている。

補助金もたくさん入れればいいと思っている。

公立学校でも構わない。

独自の教育方針で運営してくれれば・・・。

それが田舎でも選択肢として存在してほしい。

私はそんな佐久穂町の教育の

学校教育以外の部分を支えていきたい。

 

明日、佐久穂町立保育園および佐久南幼稚園運動会来賓参加

 

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