国語について考えてみる。
国語という教科は英語でJapanese。
つまるところ日本語・・・ということになるわけだが、
英語の訳のとおり、
国語は日本語を学習する教科なのだろうか?
まず、大前提を確認しておく。
この内容は、問題提起であって批判ではない。
また、あくまでも個人的感想であるので、
それは承知願いたい。
長い間、学習塾の業界にたずさわっていると、
国語が苦手だという中学生とかなりの高確率で出会う。
苦手だ・・・といっても、
日本語がしゃべれない、うまく使えない・・・
といったことではもちろんない。
ほとんどの場合が、
定期テストや高校入試に向けた学習の中で、
点数が確保できないという基準において、
国語が苦手だという認識を持つにいたる。
そもそも、いわゆる国語のペーパーテストで、
点が取れないからといって国語が苦手だ・・・
ということになるのか?
という問題が存在するわけだが・・・。
今回はそこに焦点を当てていくことにしよう。
まず、国語のペーパーテストについての確認。
基本、高校入試をはじめとするペーパーテストは、
読んだことのない初見の文章を読み、
それを正確に読めているかどうかを見極める問題が出題される。
その、正確に読めているかどうか・・・を、
色々な形式で問題化して確認をするわけだが、
多くの子どもたちは、
この問題に対する答え方の基本的なルールや、
出題に対するしばりがあることを知らない。
だから、◯にならないし、点数にならない。
その中で一番、子どもたちに認識されていないのが、
書いてあること以上でも以下でもない!
という考え方だ。
これは至極当然で、
行間を読むといった行為がすぎると、
それぞれの読み手の想像の翼は、
青く広い大空を羽ばたくことになる。
ところが、公平に○✕をつけて、
点数化を余儀なくされる国語の答えは、
極力、ひとつにしぼられなければならぬ。
だから、
読解すべき本文にそった、
もっとシビアに言うと、
本文そのものに書かれている内容そのまま、
それが答えの根幹をなさなければ、
解答としての説得力に欠けてしまう。
さて、ここで思い出してほしい。
われわれが受けてきた国語の授業。
この方針に対して、
全く逆の方向に存在していたのでは?
行間を読んだり、
書いてある内容から、
深く深く追求をしたり···。
これはこれでとても重要なことだが、
実はこれはペーパーテストにとっては、
なかなか一致し難い、
少なくとも子どもには、
一致してると感じにくいことだと思われる。
・・・だから・・・だからといっていいのか微妙だが、
だから、
数学の文章題の意味が理解できない
という事象が、まま起こる。
例えば、
といった短文でさえ理解できないこともある。
というか、むしろ多いのではないか?
ペーパーテストの是非や国語学習の是非を問うているのではない。
ようは、動機があってこその手法だ!
・・・ということを、忘れないように、
少なくとも私はしたいと思っていると、
言いたいにすぎない。
最後にしつこく、
あくまでも個人的な意見。
でも、私にとっては大切にしている考え方なのだ。
南佐久環境衛生組合全員協議会まであと9日
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