時代が目まぐるしく移り変わる中、
PTAだってさまざま変化が生まれる。
最近ではPTAという組織そのものに対する弊害が、
大きく取り扱われるようになってきた。
そんな中でも、
PTAは大人の学びを支えるという考え方のもと、
長野県PTA連合会では研修用の動画を出し続けている。
信州大学教職支援センター准教授の荒井栄治郎先生の講演。
そろそろPTAという組織が、
自己評価をしていかなければならない時期にきている。
時代にあっていない組織運営の片鱗が、
あまりにも目立つようになってきた気が私もするし、
かといって、即不要論を唱えられるほど、
無責任ではいられない。
1番無責任ではいられないと思うところは、
親自身の親としての学習が不十分になるという点だ。
そんなもの自己責任だろ?
という人もいるかもしれない。
個人的に自己責任論は好きではないが、
百歩譲ったとして、その自己責任は、
親が親として不幸になったときに責任であって、
親によってこどもが不幸になったときには、
親に責任はもちろんあっても、
子どもにその責任を押し付けられない。
子どもは親の所有物ではないのだから。
仕事であれば、
そこには評価があって、それを反映した給与というものがある。
あまりにも仕事について無知で居続けるならば、
その報いは自分自身に返ってくる。
人間関係であれば、
自分勝手で相手を不快にさせたならば、
その報いもやはり自分に返ってくるに違いない。
しかし、親であることについては、
その報いが・・・もうすでに報いと呼べるものではないか・・・
その被害は子どもに返ってくるのがリアルだ。
そして、なにもそれは一部の特定な親だけではない。
どこにでも普通にいる親がその可能性を秘めている。
では、どこでそれを学習するのか?
その機会はどこで得たらいいのか?
かつて全佐久PTA連合会の研修内の対談で、
聞かれたことがある・・・
PTAという組織って必要なんですか?と。
私は答えた。
PTAという組織は必要ないかもしれない。
ただ、親が学ぶことができる機会と、
子どもたちを支える組織は必要。
それがなんという名前の組織でも構わないが、
現状そこに、PTAという組織があるのであれば、
それを利用するほうが、
圧倒的に有意義ではないか?
と。
ある命題に対してNoということとは、実はとっても簡単だ。
全体に対してではなく、
局地的な側面に対して批判をするのだからそりゃ簡単なはずだ。
だが、その批判の多くには、そのあとがない。
あとがあるのであれば、
それは批判ではなく、変化を伴う行動となるからだ。
昔から子どもによく言っていた。
映画評論家が映画監督をやって成功した事例を、
私はめったに知らない・・・と。
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