引き続き、
次男・三男の夏期宿題新聞のための、
岐阜県海津市にある歴史資料館での見学について。
前回の記事で、木曽三川は海のようだという話をした。
海の干満によっても水位が変わるから、
あながち嘘ではない。
この話は頭の片隅に置いておいて・・・。
海津市歴史資料館の職員の方に、
次男と三男が色々と質問をしたこともあってか、
職員の方から別倉庫にある、
水路と水門を見せてもらえることになった。
それがこれ。

コレは最近、堤防工事の際に発掘された地下水路と水門。
明治時代初期のものだと言われるから、
お抱え外国人のゲレーテさんが調査をする前の代物らしい。
ということは、
明治初期の名も無い大工の作品ということになるか・・・。
正式名称は金廻四間門樋という。
何をするためのものかというと、
輪中内の水を揖斐川に排出するための地下水路と水門。
輪中というのは水が溜まりやすすぎるため、
生活排水なども含めて、
外に定期的に排出しなければならない。
それこそ、現在では排水機がいくつも設置されているが、
当時はそんなものはない。
で、これを使ってどういう原理で排水するのかと言うと、
この写真の水門は一方方向にしか開かない仕組みになっている。
写真を取った側が揖斐川で、
水門の扉は手前にしか開かない。
その門の向こう側は堤防沿いに地下水路が続いていて、
輪中の中の大江川に繋がっている。
で、潮の干満だ。
満潮のときには揖斐川も水位が高くなるので、
門はその水圧によって自然と閉まる。
で、干潮のときには揖斐川の水位が下がり、
輪中内部の大江川の水位が高いと、
観音開きの水門が押されて開いて排水する・・・
というもの。
時間も動作もオートマチックという感動モノ。
そんなことを昔の人は理解した上で、
どっかの誰かがそれを作って堤防の下に埋めたとすると、
感服以外の感情が出てこない。
そして正確にこういったことを理解して、
感服できるためには、
それなりの基本的知識を保有していなければならない。
潮の満干期や水圧・・・
どれも小学校で学習する内容だ。
ここをおろそかにしては、
感動すらできない・・・ということになる。
あらためて初期学習の大事さを実感。
こういう機会を利用して、
学び直しも必要かと実感せざるを得ない。
9月定例会開会まであと8日

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