2月1日には長男が通学している野沢北高等学校にて、
第30回理数科課題研究発表会
が、行われた。
場所は、野沢北高校内にある同窓会会館岳南館。
長男は高校2年生で、今回、発表する側の立場。
野沢北高等学校には理数科があり、
その理数科の2年生1クラス分を9班に分けて、
それぞれの理科的な課題を設定して研究を行い発表する。
この発表は、次年度同じことをする理数科1年生はもちろん、
広く公開されているので、
保護者の私や、入学希望をしている中学生とその保護者、
地域の人たちなどがゲストとしてきていた。
内容的にどうかと言われると、
すでに大学や研究機関で検証がなされているものもあり、
いわゆる最新研究の発表というわけではない。
というか、個人的に私などはそこを求めていない。
たとえば、6班は、
扇風機の風の強さと羽根の枚数について研究しているが、
世の中の家庭用扇風機のほとんどが5枚構成になっていることから、
おそらく最適解はすでに検証され尽くしていると思われる。
では、その研究自体に意味はないのかというと、
それはそれで全く違った価値観がそこには存在するように思う。
私の頃の話ではあるが、
大学の後半に卒業論文のためのゼミに所属し始めたころ、
同学年の友人とよく話をしていたことを思い出す。
いわく、問題の設定の仕方がわからない・・・
いわく、何をどう取り掛かったらよいかわからない・・・
いわく、仮説ってなに・・・
などなど・・・
つまり、高校生までの学習では、
いわゆる論文を書くような研究過程や思考の仕方を、
学ぶ機会がほとんどないのに、
大学生になるとそれをいきなり強いられる・・・
という現実に面食う。
しかも、そのような研究過程自体が、
ほぼ初めての経験なのに、
そこに評価を伴って見られてしまう辛さ。
しかしながら、社会人になってからやっと実感するのが、
知識をつける・答えのある問題を解く・熟練度をあげる
などは、まず第一段階の話であって、
実は役に立つというのは、
問題を発見できる・問題に対する解の仮説をたてる、
仮説をもとに解決案を実行する・結果から仮説や解決案を変更する
といった能力がそなわるということなのだ・・・
ということだ。
そうなると、その実践力というものはどこで体験し、
どこでその修練を積むのか?といった、
教育内容についての大きな課題が現実に立ちふさがる。
そのひとつの解決案としての価値が、
こういった課題研究発表にはあるのだ。
最近の小中学校の教育課程にも、
こういった要素が多く含まれるようになってきた。
しかし、こういった修練は先にも述べた通り、
一定の第一段階の履修があって、
大きな意味が生まれてくる事が多い・・・
といった側面もあり、そのバランスが欠いていると、
何も身につかない、
ただ集団にいるだけの人材が生じる可能性もある。
ここが、教育的なジレンマということになるだろうか。
一方で別の視点から考えると、
いわゆる教育課程の学習内容でのみ、
そういった修練を積むことがこどもにとって効率的か?
という命題も生まれてくる。
第一段階の履修度によって修練に差が生じるのであれば、
なにもいわゆる教科的な学習でなくとも、
修練はできるのではないか?という考え方もできる。
もしかしたら、無自覚のうちに学校教育は、
それを部活動や生徒会活動で補完しようとしていたのかもしれない。
そう思うと、学校教育の中で、
そうした教科的な学習以外の側面は、
もしかしたら減らすべきではないのかもしれない。
むしろ教科的な学習内容を縮小してでも、
そちらを充実させていく必要すらあるのかも・・・。
話が壮大になりすぎたので、
野沢北高等学校の教職員や地元企業の方々の、
ご苦労とご尽力に感謝を申し上げて、
今回の記事は閉じる。
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