8月25日に2回目の、
新型コロナウイルス感染症の予防接種を打ってきた。
で、今日、今こうしてブログを書いている最中も、
基本的には様子を見ている。
いわく、
2回目は発熱が起こりやすいとのこと。
ニュースで聞くにつれ、それがスタンダードなのかと、
気が付かないうちに刷り込まれていく。
そりゃそうだ。
熱が出た人はその経験を語るが、
基本的に発熱しなかった何もなかった人は。
すなわち未経験ということなので、
わざわざ人に話すこともないのだから・・・。
つまるところは、情報の偏りというものは、
はじめから含有されているのが、
それこそスタンダードなのだということを、
どうして人は忘れてしまうのだろうか?
今のところ1回目と同様、
左肩局地的筋肉痛があるぐらいで、
これといった副反応もなく、こうやってキーボードを叩いている。
そうはいっても、ちょっとしたドキドキはそこに残っている。
佐久穂小中学校では、
副反応とはいえ家族に発熱症状があると、
児童生徒は学校を休むというルールになっている。
だから、私がここで副反応の発熱があれば、
息子3人とも自宅待機ということになるわけだ。
自分の副反応のせいで、
子どもたちに学校を休ませるのも、
熱があるのに自宅で3人の息子が暇を持て余しているのも、
想像するだけでモヤモヤ係数は急上昇する。
なかなか難しい世の中になっているものだ。
予防接種が2回終わったからといって、
それで感染しなくなるわけではまったくない。
重症化が防げるということらしいが、
素直に考えれば、
死者は減るのは素晴らしいこととして、
入院者が増加しかつ長期化するということでもある。
予防接種をすすめるということは、
同時に医療体制の変革や対応力向上も必要だ
ということだと思う。
また、
子どもたちの感染拡大も防がねばならぬわけだが、
実質、12歳未満の子どもたちは、
予防接種の対象者とはなっていないわけで、
大人が感染しづらい・・・もしくは重症化しないということによって、
無防備である人がまだまだ残されていることを、
つねに我々、子どもを持つ親は意識し続けなければならない。
かように、
問題はAだからBのように単純に済むわけではないのが、
我々が生きる現実社会なわけだ。
今、学校教育では生きるチカラが求められているが、
もしそのチカラがあるとして、
それを身につけるのならば、
AだからBのような単純な局面を基礎として大事にする以上に、
じつはそれらの複数の組み合わせによって、
バランス感覚のよい、
納得感の高い、
そういった答え・・・ではなく、
方向性を導き出せる学習
を率先して行なっていくべきなのだろうと思う。
けっして好まれる状況ではないが、
それでも現実は受け止めた上で、
このコロナ禍の情勢というのは、
実は子どもたちの学習内容・学習方法を、
大きく変えていくよいキッカケになる。
そしてそこには、
多様な意見や価値観の共存が必要で、
まさに文部科学省のいうところの協働が、
そして民主主義の根本的な考え方が、
その鍵になっていくのではないかと思うわけだ。
9月定例会開会まであと14日
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