私の妻は、教育系の公務員。
だから私を応援したり、私についてのコメントを言ったりするのはまずい。
公職選挙法136条に、
その地位を利用して選挙運動をすることはできない
とある。
結局、法律というのはいい意味でも悪い意味でもアバウトなので、
ダメと言われたことやそれに準じたことはしない
というのが基本路線。
このことについては以前のブログを読んでほしい。
特に教育系の公務員は制限が厳しい。
だからたぶん妻に私のことを聞いても、
「洗濯してますよ~」とか「洗い物してますよ~」とか、
そのぐらいの発言しかしないと思う。
いやいや、むしろそれ以上の発言はしてくれるなよぉ。
妻よ。
決して私の応援をしてくれるな!
そんなことをあれやこれやと調べていて、
改めて猿払事件が目に留まった。
猿払・・・はい!問題。何て読むでしょう。
答えは「さるふつ」
・・・読めるわけなかろ?
猿払事件は1967年衆議院議員選挙で起訴された事件。
北海道宗谷郡猿払村の郵便局職員でかつ労働組合事務長が、
仕事の時間以外に特定の候補者の選挙ポスターを貼ったり、
貼る依頼をしながら選挙ポスターを配布したりした。
当時、郵便局はまだ公務員だったから、それが問題となったわけだ。
裁判は三審制といって、三回までやってもらえる。
1審・2審は無罪だったが、3審目の最高裁では有罪となった。
えぇ!?それだけで有罪?
とも思うが、現実にひとつの判例ができてしまった。
もちろんその判決当時も、
公務員であることと表現の自由との間で論争があったようだ。
私自身、この事件についての正義感からの意見はない。
だって、そもそも法律って正義感からできていないと思うし。
まぁそれはいいや。
ただ、この事件を見て思うのは、
公務員って不自由な存在なんだなぁ
ということ。
不自由というのは、善悪という観点はおいておいて、
防御力が高く、攻撃力が低いものだと思う。
私個人としては少し切ない。
今の時代は、実は攻撃力が必要な時期に差し掛かっていると思うから。
きっと、他人である私が切ないんだから、
公務員本人が一番切ないんだろうなぁって思う。
いわゆる「忸怩たる思い」ってやつ。
私の妻に対してもその感覚は同様だ。
昨日は、佐久穂小中学校1~3年生の授業参観だった。
長男(9)と次男(6)の授業を参観して、学級懇談会に出席してきた。
小学校の先生たちはよくやっていると思った。
それでもやっぱり親は、私も含めて、自分の子どもしか見えない。
それは悪いことではないが、
私はせめて、頭の中だけでもいいから、
集団全体を統率している先生そのものを理解してあげたい。
そういったことが、おそらく自分の子どもだけでなく、
自分の子どもを含んだ集団、
もっと広がって佐久穂町の子どもたちに
大きな利益をもたらすであろうと考えるから。
そして、その利益を得た子どもたちは、
自分の子どもに利益をもたらすと思うから。
それでも、多分、学校の先生たちは
真面目な人ほど自分で自分を省みて、
切なさでいっぱいになっていると思う。
だから中にはその切なさに押しつぶされないように、
自己防衛をせざるを得ない人も出てくる。
はたから見ても切ない話だ。
ちょっと話を戻す。
あくまでも私の考えだが、
公務員というのは基本的に防御力は高いが攻撃力は低い。
だから佐久穂町を安定させるには、時代を安定させるには最適だと思う。
しかし忘れないようにしたい。
安定というのは、常に微小の後退であるということを。
じゃぁ、町の運営に関して攻撃力を補強するためにはどうすべきか。
簡単だ。
町民が声を上げればいい。
何かを要求するのじゃなくて、
何かを否定するのじゃなくて、
こうしたい。こうやりたい。こうありたい。
という声を上げればいい。
それが、町に攻撃力を付加する方法だ。
「なんだ、どこまで生意気なんだ!」
私のことをそう思ってくれた人。
ありがとう。
そうやって、反応して、
個人の心の声だとしても、それを思ってくれることに意味がある。
だから、考えてほしい。
こんなよそ者の生意気な意見に対抗できる
思いを、意見を、方法を!
「大好き」の反対は「大嫌い」ではない。
「大好き」の反対は
「無関心」
文句こそ、私の望むところだ!
と、威勢よく書いてみたものの、
私の心はゆでる前のパスタよりも折れやすい。
だからしっかりとゆでて、あのしなやかさを持ちないなぁ。

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